2011年03月21日
あれから…
311大地震
あれから、もう10日なんですね…。
宮城県東松島市の実家は津波で壊滅してしまい、町は瓦礫の山となりました。
外出していた母と兄は無事!
その時、自宅にいたであろう父は残念ながら帰らぬ人となりました。
私は高校時代から結婚前までの大半を石巻で過ごしました。
実家のある東松島、石巻、牡鹿半島、南三陸町には沢山の友人達がいます。
被災地では、徐々に携帯の電波が復旧し、安否不明だった友人達ともやっと連絡がとれるようになりましたが、未だ見つかっていない友人や家族の話、そして悲しい知らせも…。
こんな悪夢のような事がおこってしまったなんて。
本当に酷すぎる。
でもこれは現実。しっかりと受け止めなくては。
あの場所で生還した人達は、みなギリギリの所で壮絶な体験をして奇跡的に助かった人達ばかり。
電話が繋がって、お互いに泣きながら励まし合っても、今は声を掛けることしかできないのがもどかしすぎる。すぐに現地には行けないし、物資も今はまだ送れない。
だけど皆、元気でいればまた必ず会えるって、あの瓦礫の中で前を向いて頑張ってる!
自分に何ができるのか自問自答の日々。
あれから、もう10日なんですね…。
宮城県東松島市の実家は津波で壊滅してしまい、町は瓦礫の山となりました。
外出していた母と兄は無事!
その時、自宅にいたであろう父は残念ながら帰らぬ人となりました。
私は高校時代から結婚前までの大半を石巻で過ごしました。
実家のある東松島、石巻、牡鹿半島、南三陸町には沢山の友人達がいます。
被災地では、徐々に携帯の電波が復旧し、安否不明だった友人達ともやっと連絡がとれるようになりましたが、未だ見つかっていない友人や家族の話、そして悲しい知らせも…。
こんな悪夢のような事がおこってしまったなんて。
本当に酷すぎる。
でもこれは現実。しっかりと受け止めなくては。
あの場所で生還した人達は、みなギリギリの所で壮絶な体験をして奇跡的に助かった人達ばかり。
電話が繋がって、お互いに泣きながら励まし合っても、今は声を掛けることしかできないのがもどかしすぎる。すぐに現地には行けないし、物資も今はまだ送れない。
だけど皆、元気でいればまた必ず会えるって、あの瓦礫の中で前を向いて頑張ってる!
自分に何ができるのか自問自答の日々。
Posted by marble-b at
17:51
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